評価されるとは何か

評価されるとは何か

「人は誰しも評価されたい」

これは、誰にとっても当たり前の感情だ。
けれど、ここに立ちはだかる大前提がある。

評価というのは、自分がするものではなく、他人がするものだということだ。

どれだけ自分で「私は頑張っている」と感じていても、相手がそれをどう受け取るかは別問題。
他人の目にどう映っているか、それが評価だ。
このシンプルな事実を、私たちはつい忘れてしまう。

最近、私の周りでも「なんで私じゃないの?」「評価されないのはおかしい」と声を荒げる人がいた。
だが、冷静にその人の行動を振り返ってみると、理由は明快だった。

・やるべきことをやらない
・できないことを他人に頼む
・「女性だから」「子育て中だから」と性別や属性を盾にする
・「それってダイバーシティじゃないですよね?」と逆ギレ気味に噛みつく

つまり、“権利”ばかりを主張し、“責任”や“行動”が伴っていないのだ。

私の研修では、「人はどこで他人を判断しているのか?」というテーマで一枚のスライドを使う。
そこには、こう書いてある。

「人は、あなたの “言っていること” ではなく、“やっていること” を見て判断している。」

耳が痛いが、全くその通りだ。

SNSで立派な言葉を並べても、日々の立ち居振る舞いに一貫性がなければ信頼されない。
どれだけ努力していると語っても、結果が出ていなければ伝わらない。

評価とは、行動の累積 によって自然と生まれるものだ。

それは、拍手喝采の舞台裏で地道な準備をし続けている人にこそ、後からついてくるもの。
「自分の頑張りをもっと見てほしい」と願うなら、まずは“見られて恥ずかしくない行動”を積み重ねるしかない。

では、どうすれば本当に評価されるのか?

答えはシンプルだ。

「やるべきことを、やるべきタイミングで、誰よりも丁寧にやる。そして評価されるまでやり続ける」

それだけである。
特別なスキルもいらない。派手な演出も不要だ。

ただし、それを継続できるかどうかが、周囲との差を分ける。

そして、もう一つ大事なことがある。
評価されるために動くのではなく、「価値を出すために動く」こと。
この順番を間違えると、どこかで虚しくなる。

評価されないことを他人のせいにした瞬間に、成長は止まる。
評価されない理由を自分の中に見つけられる人こそ、最後に信頼を勝ち取る。

評価とは、もらうものではなく、預けられるものだ。
誰かに「あなたなら任せたい」と思わせる人間でありたい。

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